わたしは普段、お水とお米をインターネットで購入します。
お水は鹿児島県産のアルカリ性の温泉水、お米は山形県のとある農家さんのつや姫で、これらの食材はしばらく私の一部になってくれています。とっても感謝をしています。
今日は、お水とお米の話ではなく、物流について真剣に考えたいと思いました。
わたしは鹿児島県からも山形県からも遠くに住んでいるので、物流にお世話になっています。インターネットでお水とお米を注文しました。
まず、お米20kgを届けてくれたのは、おじいちゃんでした。おじいちゃんというのも失礼ですが、わたしのパパよりは年上そうでした。おじいちゃんから手渡しで20kgのお米を受け取ったとき、重みを感じました。
スーパーから5kgを持って帰るのにも大変なのに、20kgをもってうちのマンションの階段をあがってくれました。うちのマンションにはエレベーターがないのです。
お水のお兄さんはもっと大変でした。2l×6本×4箱の48kgです。受け取ったとき、ものすごい重みを感じました。お兄さんはこれを一度に運んできました。エントランスの都合上、一度往復するともう一度インターフォンを押さないといけないから頑張ってくれました。階段をもう一度上がるのが面倒と思ったかもしれません。
わたしは「運ばれた」お水とお米の重みを、心で感じとりました。わたしの家に届くまでに、たくさんのひととフォークリフトが「運んでくれた」のです。わたしは、注文する責任を感じ、そこでうまれた労働について思いを馳せました。目を閉じて、ありがとう、と言いました。
モノと自分との出会いは、
自分が「動く」か、モノが「運ばれるか」、の二択だということを、覚えておこう、と思います。