Nagi brewing

A quiet place where yeast breathes.

  • 30をすぎてから
    人の顔に「何か」が見えるようになった



    Sydneyに行った気分になる Flat white





    子供の頃は「相手の顔」を見ていたんだ 相手の画面をスクリーンショットしたような 表面上の その人のパーツとしての「顔」
    あとは「顔色」をうかがっていた 怒っているのか 悲しいのか 相手の今の感情を顔から知ろうとする 探っていた




    30を過ぎてから
    顔に「滲み出ているもの」がなんとなく見えるようになった
    それは 苦労の経験とか 悲しみの先だったり 背負っている責任だったり 優しさ その人そのものが 放たれていたんだ なんで子供の頃は見えなかったんだろう?


    特にわかるようになったのは 顔は笑っていないんだけど心が笑っていたり すごく深くて優しい愛情
    そうか 愛って言わなくても伝わるんだ っていう大切なことがわかるようになった







    若い頃はさ〜
    愛してるって言ってよ!!!って言ってたよ!笑
    それはさ 愛じゃなかったんだ






    顔って 表情って
    目って 眼差しって
    言語って 声って


    全然違うね
    学校では教わらない 大切なこと














































    写真にうつるかなぁ?って思ったんだ



    (その1とその2も読んでくれてありがとう)

  • 撮影のモデルって モデルさん がやるって思っていたんだ
    カメラの被写体になる人が決まっているんじゃないかって



    「うつるに値する人」っていうのがいる と思っていたんだ







    モデルになれるんだよ

    モデルになってみたいって 自分自身が望むのならば










    例えば 私は英語ができないとか
    私にはできない 私は値しない 私は 

    そうやって決めつけているのは 自分かもしれないよ














    なりたいものになろう 勝手に名乗ってしまおう
    私は モデルっていうことをしてみて 自分にはできないと思っていたことを経験したら 自分にできそうなことが 少し見えたような気がしたよ







    誰かに できないかもしれなかったことのきっかけをくれたり できるかもしれないって 少し背中を押して実感を与える仕事って すごくかっこいいね

  • 写真を撮ってもらう機会ってあるよね 例えば集合写真 カメラを向けられたら 笑顔っぽい顔をしてさ うつる準備をする わたしはいつも 手をどうしたらいいのかわからなくなって とりあえずのピースをしておく 「社会」にはまりにいくんだ 型みたいな 枠みたいな 模範解答のような そうしておけばいいルールに従うんだよ






    ポートレート撮影も 写真を撮ることだって思うでしょう? 




    あのね ポートレート撮影の醍醐味は 写真を撮ってもらうことじゃないんだ 「自分を直視する」ということだよ










    すごく不思議な時間なんだ
    私は 私なんだ って思う時間だよ



    カメラを持ったカメラマンさんが鏡みたいになってくれて
    わたしは いつものわたしより わたしっぽくなる
    時が止まるんだよ 進んでいるはずなのにね







    私は弱い人間だから 自分から逃げたくなることも結構あるんだけど ポートレート撮影を通じて 私は私から逃れられないことを知る 厳しくも優しい事実をそこで目の当たりにする

    自分を直視するのは少し勇気が要るよ それは 世の中の大抵の事は知りえないし 自分一人じゃ大したこともできない そしてその「大した」が誰かとの比較によりうまれたもので その比較の世界で暮らしながら自分の座標を捉えること それが果てしなく難しいことを知ることだから





    ポートレート撮影をして
    わたしはわたしをしようっておもったんだ!
    自分の人生というドラマの 主人公だね












    おもしろいよ
    ぜんぶうつっちゃうんだよ!
    ここには私がいる

    うおお!私ってば!こんなにかっこいいのに!
    フーディーの紐が非対称!笑
  • なんでもググればわかる時代なんだ
    知ることに情熱的になるのが難しい時代に突入していると思うよ

    だって すぐ知れちゃうんだから
    ビンチョウマグロがなんで白いかも AIが教えてくれちゃったよ 教科書や参考書で「調べる」ことも奪われた 




    でもさ 思うってことは 私にしかできないと思うよ 熱いって感じることも 私の感性にしかできない だから 感性は 奪われないんじゃないかって思う








    英語の勉強をしている 毎朝4時に起きて
    単語を覚えると忘れる 覚えても覚えても忘れる 覚えると他のを忘れちゃうんだ

    Chat GPTもGoogle translateも正確だよ
    でもね 私 英語はずっと続けると思う 話したい人がいるの いつか もう一度会って 最初に会った時に感じたことを もっと正確に伝えたいから






    私の感性を伝えるのは 私にしかできないんだよな〜

    感性を言葉にしたいって言う気持ちと
    世界のどこかで分かり合える人がいるかも知れないって思うんだ


    明日も4:00に起きるよ おやすみなさい

  • サーフィンって 気持ちがすごく大事なんだ
    一度巻かれて怖いって思うと もうその日はダメで
    私は乗れる!!!って思うと 波をキャッチできる確率が上がるんだ



    乗れるかもしれない もダメなんだ
    「かもしれないパドル」をしちゃうから そんなパドルじゃ波は待ってくれない

    ぜったいに乗るんだ!って強い気持ちがあるから 乗れるんだよね





    スポーツだけじゃないと思ったんだ

    「私はできる」って思うことが 大事かもしれないってこと

  • お直しに出していた包丁が届いたよ
    わたしの包丁は 鳥取県にいる大塚さんが作ってくれたものです
    ヤマザクラなんだ かっこいいでしょう




    https://chizukankou-kurashiya.jp/goods/reading/01/

    (大塚さんの記事です)




    お直しに出したらお手紙もはいっていました
    お手紙を読んだら 私が伝えたかったことが届いていることが分かりました 言っていないんだよ 伝わったの



    私は モノを通じて 会話ができることを知りました

    嬉しいね 「わたしは言わなくても伝わる」が大好き











    わたしは 大塚さんを 包丁のお医者さんだなっておもったんだ
    モノにもお医者さんがいるんだ モノを見て モノが分かるみたいだ







    かっこいいなぁ 
    かっこいいね



    モノっていいねぇ
    モノって素晴らしいねぇ




    モノづくりって いいね
    モノから伝わるね 伝えられるね

  • わたしは普段、お水とお米をインターネットで購入します。
    お水は鹿児島県産のアルカリ性の温泉水、お米は山形県のとある農家さんのつや姫で、これらの食材はしばらく私の一部になってくれています。とっても感謝をしています。

    今日は、お水とお米の話ではなく、物流について真剣に考えたいと思いました。

    わたしは鹿児島県からも山形県からも遠くに住んでいるので、物流にお世話になっています。インターネットでお水とお米を注文しました。





    まず、お米20kgを届けてくれたのは、おじいちゃんでした。おじいちゃんというのも失礼ですが、わたしのパパよりは年上そうでした。おじいちゃんから手渡しで20kgのお米を受け取ったとき、重みを感じました。
    スーパーから5kgを持って帰るのにも大変なのに、20kgをもってうちのマンションの階段をあがってくれました。うちのマンションにはエレベーターがないのです。


    お水のお兄さんはもっと大変でした。2l×6本×4箱の48kgです。受け取ったとき、ものすごい重みを感じました。お兄さんはこれを一度に運んできました。エントランスの都合上、一度往復するともう一度インターフォンを押さないといけないから頑張ってくれました。階段をもう一度上がるのが面倒と思ったかもしれません。


    わたしは「運ばれた」お水とお米の重みを、心で感じとりました。わたしの家に届くまでに、たくさんのひととフォークリフトが「運んでくれた」のです。わたしは、注文する責任を感じ、そこでうまれた労働について思いを馳せました。目を閉じて、ありがとう、と言いました。







    モノと自分との出会いは、

    自分が「動く」か、モノが「運ばれるか」、の二択だということを、覚えておこう、と思います。

  • コンビニエンスストアや食サブスクリプション、ウーバーイーツがうまれ、空腹を満たす、栄養素を補う、など「食の道具化」が進んでいるように思います。

    それに加えて、モバイルオーダーというものがうまれました。人は待つことなくほしいものが手に入るようになりました。作り手のみならず、レジのお兄さんお姉さんとのコミュニケーションもなくなってしまっているのです。







    だけど、愛を教えてくれるレストランがあります。

    逗子にある「Katsu’s」というレストラン。逗子でも駅の近くのにぎやかなところでなく、すごーく奥まった、静かなところにあります。赤い看板が目印です。



    現金ONLYです お気をつけて






    食べる全ての料理から愛が伝わります。




    できれば、「とびっきりおいしいトマト」のメニューを試してみてください。わたしは自分の人生で、Katsu’sで出てくるトマトよりおいしいトマトをまだ知りません。


    アラビアータや ピザなど




    わたしも、特別な日、自分のお誕生日にしか行かないのですべてのメニューを試したことがないのですが、その他も意識が飛びそうになるくらいおいしいです。
    できれば魚介類の使われたもの、お刺身のサラダや小坪産シラスのピザ、貝のガーリックライスを試してみてください。「これで一年頑張れるや」というエネルギーをもらえます。



    この日から使い始めたカメラをうまく使えず暗くなっちゃった…!ごめんねガーリックライス…!





    実はこんなにお料理が素晴らしいKatsu’sですが
    Katsu’sが素晴らしいのは、Katsu’sという空間の優しい空気と、ウェルカムな雰囲気をくださるスタッフの皆様と、お店の内装(飾られた絵画も好きです)、カトラリ、接客、サービス、すべての「一体感」と思います。私の語彙力で伝えきれないのが大変申し訳ないのですが、Katsu’sのエントランスから入るとそこは異空間です。不思議の国のアリスになった気持ちになります。










    デザートは季節で変わるかもしれませんが、クレームブリュレは食べておきましょう。

    年末はさくらんぼもありました(2024)





    Katsu’sのスタッフさんの「チーム」が大好きです。
    お会計が終わり、お店を出て振り返ると、スタッフの方皆様から笑顔をいただきました。それは子供がずっとあこがれていたスター選手と出会えた瞬間のような、あまりに眩しい笑顔×スタッフさんの数で、わたしはこんなに受け取ってしまっていいのかと恐れ多くなるほどでした。今思い出しても涙が出そうになります。













    行動していると、すてきな場や人に出会えることがあります。
    それは、自分が自分だったからこそ、だから出会えたものだと思います。
    わたしはKatsu’sに出会えた自分に感謝をしています。

    自己肯定感って、要はそうゆうことかもしれません。







    大好きだなぁKatsu’s。本当に本当に大好き。

  • 顎髭が好きです
    ペットに 「フトアゴヒゲ」トカゲ を飼うほどです

    ぼくは 太顎髭蜥蜴 の SOL




    でも 顎髭は 似合う人と 似合わない人がいて 似合う人には お似合いですね っていう事もある わたし個人の意見


    でもさ 「似合わない」とは どうゆうことなんなんだろうって 考えています





    例えば私は 自分に好きなものがあって もしそれが似合わなかったら どうしたらいいんだろうと思いました 他人の言うことは気にしないといえばそうなのですが やっぱり社会(そして、別の基準でわたし個人)が決める「似合う」と言うものがありそうだと思ったのです




    様になる って その人の「姿」になることかな
    その人の飾りなのか その人の一部になれているのか の違いかなぁ?












    でもさあ 好きなものがあったら
    似合いたいね だって好きなんだもの
    似合う自分になれるんじゃないかって思う








    あ!顎髭は自分に持てないものだから魅力的なのであって
    自分が顎髭欲しいわけじゃないです!笑
    オスとメスの不思議!


    ね!



  • お手紙をもらいました
    段ボールで送ってもらった底に 気づき忘れちゃうんじゃないかって思うくらいひっそりと




    危なかった 捨てちゃうところだった 見つけられてよかった









    私だったら
    お手紙書いたら読んで欲しいから
    段ボールの一番上に置くと思ったんだ
    でも
    底にあるのがよかった
    落ち葉みたいに 潜んでた







    手紙で 心が動いた


  • 12月にコロナウイルスに感染してしまい
    スキップした予定を精算するように過ごした年末年始


    実家のおチョコは たぬき🍫




    ペンを持って真っ白な紙と向き合っていた




    「私に何ができる?」













    立ち止まるってすごく怖いんだよ 作業をしていれば自動的に時間は流れていくんだから だから 自分を問うことって 勇気のある行動だと思うよ





    私は共著の本を書いたことがあるんだけど
    サイン入りの本が何冊もあるよ 私にファンはいない笑




    マグネットも作ったんだけど 売り方がわからなくてまだ放置してる
    ビールと違って腐らないからいいかぁ いつか売ってみよう






    どんな1年になるだろうね!

  • 箱根駅伝
    第101回目なのに「区間新記録」が出るのが本当にすごいことだと思う



    それは「超えている」ということ





    いつだって超えていけるんじゃない?

  • サーフィンのミニ試合に出ました
    結果は0点です


    サーフィンは 時間制限内のライディングの点数で競います
    ライディングをしないと点数は入りません



    つまり 0点とは
    「挑戦しなかった」ということを意味しています




    私は のびたくんのように0点を取ったことはこれまでの人生で一度もなかったので 0点という数字に激しく動揺しました しかもその理由が 自分がチャレンジさえしなかったから















    正直コンディションの悪い日でした
    どこどこいろんなところからくる波で
    大きいしカレントも早い




    私は恐怖のあまり 足がすくんで 沖でただ波を眺めることしかできなかった









    でも チャレンジしないというのは 何よりもダサいことに気が付きました
    ダサい自分を直視することは なんとも苦痛ではありますが それでも私は私を生きるしかないんだなぁ と思っています




    のびたくんは
    自己理解があるなぁ
    わたしも もっと自分を知りたいんだ

  • いまはカプセルホテルの下の段にいます
    明日は早朝からサーフィンだ 今年も寒い中やってみるよ



    あのさ さっき オリオン座を 撮ることができたんだ!





    Fっていうすうじを1.8くらいにして
    ISOっていうすうじを20000にして
    それでシャッタースピードを10くらいにしたんだ
    じっと動かずにさ 私も忍耐だ


    空にカメラをかざすと
    カメラがういぃ~んって
    一生懸命頑張ってくれるんだけど なかなかシャッター音を押させてくれなくてさ



    でもね
    電信柱をフレームの中に入れたら
    シャッターがおされるようになったんだ!
    電信柱になった気分で 動かずにすればよかったんだ
    またヒントをもらったよ







    カメラには
    たくさんボタンがあって
    押したらばくはつするボタンかもしれないから
    慎重にね



    カメラはおもしろいんだ







    写真を掲載するときに
    私は 見てくれるかなぁ と思う人が何人か浮かぶんだ
    わたしは ハートの威力を知っているの













    唐木さんって言う人がいたんだ
    見たことないから いないのかもしれない
    でも心にはいるんだ 不思議だね
     

    わたしは サーフィンをもっと上手になって
    どこかの海で 繋がっているかなぁ って思うことにするよ



    今日もなんかいいたい?

  • 神奈川県の 南の方に来て 新しい暮らしを始めました













    新しい人と出会い 新しいことを始めました














    今年も新しい 美味しい に出会いました













    好きなものに囲まれました













    海外は
    マレーシアに2回 オーストラリアに1回
    来年はもっともっと行きたいです









    トレーニングもしたね!






    来年もパワーアップしよう!

  • 昨日は
    人とのセッションが楽しいという話をしたけど
    モノとのセッションも楽しいです


    私は海にスマフォを持っていかないので
    唯一の写真がこれしかなかった ロングボーダーみたい



    2024年も昨日が波納め
    今年もよくサーフィンをしました




    サーフィンをしたことがある人にしかわからない感覚がある
    それは 波とのセッション



    波の時速と自分の速度が重なる瞬間があって
    私はこの波キャッチの時が一番好きだなぁ と思う
    波が「重なる」んだ 自分という小さな存在が 大きな大きな海と 一緒に止まるような感覚







    この感覚は 言葉ではうまく説明できなくて
    私はこの感覚を求めて また海へ行く



    年始は1月3日から始める予定だよ!

  • セッションって したことある?










    どうやら
    Sessionとセッションは違うみたいなんだ



    英語の辞書の二つ目の意味
    a period of time or a meeting when a particular activity takes place
    これが私の思うセッションだったんだけど

    英語の辞書の一つ目の意味
    a formal meeting or series of meetings of an organization such as a parliament or a court of law
    こっちの方が一般的みたいだ





    私が思ってたセッションは
    ミュージシャンに例えるとわかってもらえると思う

    ミュージシャン二人が 楽譜やアレンジに囚われず即興で演奏して 新しいものが生まれるような瞬間 これが私の思うセッションだよ










    最初の質問に戻るね



    セッションって したことある?












    音楽じゃなくてもいいんだ

    社交ダンスするでも 一枚の紙に一緒に絵を描くでも 静かなレストランで二人で会話なくお食事することでもいいんだけど 「何か同じことを同じ場所で一緒にすること」言語なしで

    あるいは

    「同じ場所で二人きりでする・されること」 何もSexだけじゃなくて 貸切レストランで私がお客さん一人で シェフと私のセッションだったり 整体師さんと自分のセッションだったりするの

    共通するのは 言葉を超えたコミュニケーションをすることで 同じ空気の中にいないとできないことなんだ これはオンラインじゃできないこと














    要は 非言語コミュニケーション ということです
    私はこの非言語コミュニケーションが好きで 「言わなくても伝わる」が好きなのです これをできる人は なかなか現れないんだけど 会えると 本当に嬉しいんだ





    もっというと 人とじゃなくても
    動物とも モノともできるものだと思っているんだ
    この場合は 自己対話になることもある 自分が自分と非言語コミュニケーションをすること









    私はお化けも見えないし
    占いもできないし 霊感もないし これを科学的に説明しろと責められると 口を閉ざしてしまうんだけど 
    それでもやっぱり 言わなくても伝わるもの 正確にいうと 言わなくても「伝わってしまうもの」を信じています



    これは 怒っている人の意図を「察する」とかじゃないよ 怒ってるの見つけるのは簡単だよ







    私が言っているのは
    「美しい」と思うものが同じで その気持ちが共鳴したり
    なんとなく感覚がわかってしまったり
    好き好きビームが届いてしまったりすることなんだ






    これをもう少しうまく表現したいんだ
    すごい矛盾しているんだけど
    「言語」で説明しようとブログを書いてみたりね


    私は自分を表現することを諦めない一年にしたいな と思う








    もし周りに
    セッションしてくれる人がいるなら
    セッションした方がいいよ!
    会いたい人には会った方がいいよ
    人生は一回で終わっちゃうよ



    あなたも楽しめますように
    一瞬でも「恋に落ちてしまう」感覚を

  • トカゲと暮らしています
    もうすぐ一年になります

    Solっていうんだ




    小さな小さな命




    ちょっと面白いのですが
    命が近くに「見える」と
    自分に命があることが身近になります
    普段「ああ〜命ある〜」なんて 思わないでしょう






    ペットを飼うことで 人間を学んでいます




    これからもたくさん愛して
    ラプンツエルごっこに付き合ってもらいます!

  • 1回だけ キスを逃したことがあります



    それは
    季節がいつだったかを忘れてしまうほど
    いまでも「しなかった」ということだけを覚えています













    また来る?

    二度と来ないよ
    そんな奇跡みたいな日
    こんなに千載一遇のチャンス









    そうなの でもね
    「しなかった」も選択
    キスしてがっかりするかもしれなかったから
    だからそれでいいの




    だけど
    こうゆう あーあ みたいなことは
    できるだけゼロに近づけたいなぁ って思うよ

  • 楽しかった は
    写真を見るとわかることがある






    ほらね 楽しそう



    それは
    23歳の時の登山のデート









    当時の私は そのとき登山をしたくて
    「登山したい」「登山したい」って周りの人に言っていたら
    同い年の登山をする男性を紹介してもらえることになった











    二人でどこの山を登るか話したけど
    わたしは どこの山がいいかなんてわからなかったから
    まかせっきりだったと思う



    山に登りたいです
    体力はあります
    伝えたのはそれだけだったと思う





    マラソンをしたことがあるからわかるけど
    人にペースを合わせるって すごく難しいことで
    わたしは私のペースしかできなかったから
    たぶん私に全部合わせてくれていたんだなと今は思う



    私は私のことしか考えていないようだ



    楽しかった記憶をひもとくと
    楽しかったと思っているのは
    私が私以上に私の瞬間だったから、ということ




    悪く言うと わがまま なんだけど
    こんな社会で生きているとさ
    自分が自分じゃなくなってしまうことがあるね
    自分を表現することを忘れてしまう社会





    私のこのデートのときは
    確かに 自分だった と思うんだ









    ここでデートをした人とは もう8年は会っていないんだ
    おそらく今あっても ぎこちない挨拶しかできないと思うんだけど
    もしまた会えたら あの時はありがとう って言いたいんだ






















    自分が自分以上に自分でいられる場所や人が 世界のどこかにいて(あって) それはひとつとは限らなくて 永遠に続くものでもなくて 誰かの一日に自分が刻まれることで 私の一日に重要人物Aとして登場いただくことであって すれ違っているのに出会えないかもしれないということであって そして またもう一度は訪れない ということ



    だから 今日を大切に生きたいなって思うんだ


    もうすぐ33歳
    10年前の自分とはまた違うデートを また違う人と どこかで